劇場版「鬼滅の刃」無限列車編はなぜヒットしたか
こんばんは、くまです。
以下ネタバレ注意です!
映画のストーリーは簡単に説明すると、
主人公の炭治郎と善逸、伊之助、禰豆子、炎柱である煉獄杏寿郎が無限列車に乗車します。車掌が切符を切ると全ての乗客は夢に落ちてしまい、自力で起きるのが困難な状態になります。それは鬼の仕業で、炭治郎たちの夢の中に手下を潜り込ませ精神の核を破壊し廃人にするという策略でした。無限列車の中で炭治郎たちは協力し、その鬼を倒します。しかし、その後上弦の参の鬼が登場し、煉獄を鬼に引き入れようとします。しかし絶対揺らがない煉獄は死闘の末、無限列車の人質を誰も死なせない、という責務を全うし、自分は命を落としてしまいます。
ストーリーは上記のような王道的で感動的なものです。
この映画が大大大ヒットした大きな理由は単純ですが、
「自分の命をかけてまで責務を全うする煉獄さんがカッコいい」
からです。
「その姿をが見たい」
と視聴者が思うからです。
現代は人々が
「個人の権利」
を主張する時代です。社会では
「パワハラ」
「セクハラ」
「コンプライアンス」
などなど、個人の権利を尊重するがために生まれた言葉で溢れかえっています。
そんな中で権利と対極にあるのが
「義務」
この映画で煉獄が命を落としてまで果たそうとしたものです。
現代では個人が
「自分が損をしないように、損をしないように」
と権利を主張するのに一生懸命になっています。そんな現代だからこそ、この映画の煉獄の姿が新鮮に映るのです。
「無限列車に乗っている人を1人も死なせずに鬼を退治する」
という責務を命をかけて真っ直ぐにやりとげる、その姿に感動するのです。
その姿を視聴者は何回でも観たいと思うのです。
中々そこまで
「情熱」
を持ってことに当たっている人はいないから。
映画を見てる間だけは自分も煉獄と同じように熱い気持ちになれる、その
「熱い気持ち」
を人々は心のどこかで求めているのです。
逆にいうとそんな映画が興行収入一位になる程に現代社会は自分のことしか考えていない人で溢れているということです。
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